Diary

移る
2018.12.30

移る

あと一日で今年が終わろうとしています。

今年の大きな出来事はやはり「移住」ですがそれにまつわる出会いや、新たなご縁にも恵まれて今年はいつもの年とは違う忘れられない一年になりました。

前半は千葉、後半は山梨。移り変わりによって心も暮らしもすべてが変わりました。

真夏の引っ越しのあと、子どもたちの転入、転園をすませ、書類関係も落ち着いたころ、靴下のシーズンに。

例年と同様、「忙」の一文字につきますが、私が企画したものが、たくさんの方のお役にたっていると思うだけで疲れが吹っ飛び、焦っても、眠くても頑張ることができました。そして同時に一人の限界を知る年にもなりました。ご迷惑になる前に体制を整えなければならないと思っています。

グリュックントグーテをこうして続けていけるのも周りのみなさまの支えがあってこそ。今年も一年 本当にありがとうございました。来る年もみなさまにとって素晴らしき年になりますように。良いお年をお迎えくださいませ。

今が花
2018.10.10

今が花

10月は息子の誕生月。

小さな彼をつれて、買い物や散歩、ゴミ捨てなど一緒に外で歩いているとご近所の年配の方からよく声をかけられ、「かわいいこの頃が花よ」とか「今が一番いいときよ」とよく言われます。

娘が小さな頃にも言われような…でもその度に「なぜ今が花なの?」と思っていました。

この年頃の子供を持つお母さんは皆そうなのだと思うのですが食事時は気忙しく、母親は立ったり座ったりゆっくり食べることができないし抵抗力が未熟なため病気をよくもらってくるし、好奇心旺盛で何をするかわからず目が離せないし、とにかく ほっとする時間がなかなか持てないので、「花の時期」という言葉がすんなりはまらないのです。でもようやく、その言葉の本当の意味がわかってきたような気がしています。

小さい頃はママの存在が第一。保育園のお迎え時も、顔が会えば「ママーー!」と走って笑顔で出迎えてくれる。それが当たり前のように感じていましたが、それは今だけなのですよね。

母親の存在というのは、(男の子は特にかもしれませんが)大きくなるにつれ変化するもの。

もうすぐ4歳になる息子。まだまだ赤ちゃんっぽいところも多いのですが、ここのところ、私の言っている言葉だけでなく、その前後にあるニュアンスまで理解していたり一人で階段を下りてトイレに行けたり、絵も上手になったりと急にできることが多くなってきました。

その瞬間、とても嬉しくて「すごいじゃない!」と褒めて喜ぶのですが、よく考えれば、小学生高学年にでもなれば、なんでも一人でできて、ご飯さえあればママの存在がなくても日々過ごせるようになる。しまいには外出が増えて、出ていくのだろうなと思うと(夜寝かしつけたあとなどに )ふと切なくなります。

でもそれは自然界のどの動物もすべて通る道。ひなが巣立って羽ばたいていくように親の役割は、子供がしっかり独り立ちできるように手助けすること。

『小さい頃が花』
どんなに手がかかっても、自分の時間がなくても、身長が1メートルにも届かないかわいい小人とこんなに一緒にいれて、トンチンカンな面白い会話を聞けるのは、今しかない。

それに、子育て、家事、仕事と時間のない焦りから余裕がなくなりきちんと子供と向き合えなかったり、必要以上に強く言って悲しませてしまったり人間としての未熟さが浮き彫りとなって現れるのも、決まって子供との時間の中にあるような気がします。そういう意味で「己」育てができるのも、今こうして子育てに真正面から向き合える『人生の花の時期』なのかなしれないなと思います。

娘が小さな時はいろんな面で未熟だった私。2回目の育児で、ようやくこの言葉が理解できた気がします。早く大きくなってほしいけれど小さくてかわいいままでいてほしいという、どこのお母さんもが通る感情を今、感じています。

3才から4才へ。見た目にあまり変わらないけれど、心の大きな成長に戸惑うばかりの今日この頃です。