Diary

何もしなければゼロ
2019.12.15

何もしなければゼロ

今日から小学校は冬休み。ここのところ、中学受験するという娘と、世界や日本が取り巻く問題を図書館で借りてきたり環境問題などのニュースを見て話したりすることが多くなりました。二酸化炭素の排出が増え続け温室ガスから温暖化が進めば、異常気象や今年のような大きな台風が来る。未来は大丈夫なのか、考えるととても恐ろしくなります。娘の今の夢は、国を超え世界の人たちとそうした問題を解決すること。なので、彼女は今、英語の勉強に力を注いでいます。(できれば今は受験科目を勉強すべきだと思うのだけど苦手な算数は、今のままで大丈夫なのかー?)
野草茶に巻いている帯は、環境循環型の「やまなし森の紙」を使用しています。温暖化の原因であるCO2を吸収し、元気な地球を取り戻してくれる大切な森林を守るという考えから山梨県の森林から間伐、伐採されたチップから作られた紙。使うことで、県有林を守り、収益金の一部が山梨県緑化推進機構寄付され、森林の再生や水源の森を守るために役立てられます。靴下の帯も少しずつこの紙に変えていかなければ。「地球を救う仕事の本」の一文。「ひとりの力は小さいけれど、何もしなければゼロだ」
微力すぎるけれど、何か少しだけでも動こうと思います。

うまくいかない訳
2019.09.10

うまくいかない訳

これまでずっと一人体制でやってきたし何とかなると思っていました。でも、これからがシーズン。仕事量が増えることを考えるとやはり限界を感じてしまいます。一人だと報・連・相がない分、処理スピードも早く気楽な部分もありますが、自分しか把握していないことの多さに気が抜けないのも事実。まだ幼い子がいる私は、子供達の日々の体調管理も仕事のうち。体調を崩せば、たちまち色んなことがストップするので、食事や栄養、睡眠の他、習い事、行事までもが頭に入ってきて、仕事とともに「しなければ」の項目として積み重なってきます。こうなると、楽しいはずの仕事がだんだん義務的になってくる。ダメダメ、それではダメ!ということで夫婦話し合い、募集をかけてみることにしました。
でも、待てど待てど来ない。おかしいな。よくよく考えれば、人口密度が低いこの場所にまず仕事にきてくれる人がいるのだろうか。さらにグリュクントグーテを知ってくださる方が何人いるのだろうか。とっても考えが甘かったのです。期待していたものがうまくいかないと、何でだろうと落ち込みますが、もしかしたら、うまくいってはいけない訳があるのかも…実は8月にこんなことがあったのです。

ショールームをオープンする前の日のことです。テーブルがなかなか決まらず、ようやくぎりぎり決めたテーブルが前日に届く予定になっていました…が、お盆中ということで業者の方が取り扱ってもらえず、急遽、配送できないという連絡が入りました。明日からオープンするというのに、お茶を飲むテーブルが1つしかない。ありえない出来事でした。仕方なく、結婚当時からずっと食卓として使っていたテーブルを下の階からあげてショールームに入れることにしました。昔イギリスの図書館で使われていたというテーブルはとても頑丈で山梨にきてからは、ダイニングテーブルではなく、下の部屋でルームシューズの作業台に使っていたのです。作業台なので、テーブルの端っこにテーブルの幅ぐらいある道具棚を置いていました。
ショールームにあげるべく棚をよけると、棚の下が埃とともに湿っぽく、木が変色しかけていることに気づきました。それを見た瞬間、突然新しいテーブルがやってこなくなった理由がわかった気がしました。長年使っていたテーブルが、山梨にきた途端そっぽを向いた主人に対して、このままでは僕はダメになってしまうと、テーブル自体が働きかけたのではないか、生きているわけではないけれど、なんだかテーブルの仕業に思えてならない不思議な出来事でした。
案の定、ショールームにあげて、マルセイユ石鹸できれいに擦りオイルを塗るとテーブルは見違えるように美しく、スペースにマッチしました。カフェにきてくださったお客様のほとんどが、そのテーブル席に座りました。そのことがあってから、すんなり行かない時は、何かが後ろで働きかけている場合がある、と思うようになりました。いいように考えると、今 人がなかなか決まらない理由も何かあるのかもしれません。
よく考えると「なぜうまくいかないのだろう」と思っているのは自分の心だけ。反対に考えると、実はうまくいっているのかもしれない。物は考えようだなと思います。とはいえ、刻々と時間が過ぎていくので心配になりますが、やるべき努力はして、良い方との出会いを楽しみにしながら、今すべきことを片付けていこうと思います。

photo/
庭に黒玉スイカが転がっていました。収穫時期遅く、お手入れもきちんとしてあげれなかったけれど、
見事にまん丸に成長してくれたことが愛おしく感じます。